父と落語


あらら もう7日です

七草がゆの日ですが

我が家は水菜とほうれん草とカブの三草がゆで済ませました

父と母はそれでご機嫌です

こういう日本の行事食を食べたいのが後期高齢者ですからね

暮れには大忙しでおせち料理を作りましたが

そのおかげで1週間楽ができました

毎年作りたくないとひとりでだだをこねますが(誰も聞いてません)

正月になると作ってよかったと思います

それをかれこれ40回足らず繰り返してきました

それにしては腕が上がらないと言われそうだけど

一年に一回しか作らない料理なのだから仕方ないと

自分を甘やかします

でも

黒豆は美味しくできます

薪ストーブのおかげでふっくら柔らかく煮えます

この黒豆を一番喜んで食べてくれるのが父ですが

「美味い」とか言ってくれるわけではありません

褒めたら損をするとでも思っているかのように父は褒めませんから

食べる量で勝手に判断しています


その父の29年前の写真です


向かって右の方は

みなさまご存知の故立川談志師匠(以下敬称略)ですが

PCを駆使して作りました?

ちがいます

本物のツーショットです

談志流またはたけし流の言い方ですと

死にぞこないの父は(この場合酷い言い方と腹を立てるのは野暮なんです)

今年で90歳にもなりますので

父はこの時61、2歳

談志は父より10歳ぐらい若いらしいので50過ぎでしょうか


どうしてこのふたりが一緒に写真に収まっているのかというと

父の記憶によれば

談志の弟子金魚家錦魚が立川龍志と改名した真打披露を

なんと東京だけでなくこの長野でもやってもらったのだそうです

当時父は長野落語会の世話人代表をしており

駄目で元々とお願いしたら快く引き受けてくださったというのです

このとき父は挨拶にステージに上がり

その挨拶の口上を談志師匠から褒められたとか・・

しかし

しばらくして父は自ら世話人代表を降りて『ご隠居』となりました

今ではそのご隠居に意見を聞きに来る方もなく

ひねもす横になっています

カルチャーセンターで落語について語る父


年末にTVドラマにもなった立川談春著『赤めだか』に

談志が語った有名な言葉があります

「落語とは人間の業の肯定である」

談春が中学卒業間近に同級生と上野鈴本で聞いた談志の高座での言葉です



業とは仏教用語ですが

わかっちゃいるけどやめられない!という意味合いでよく使われていますね

パウロはローマ人への手紙7:14-25で

善をしたいと願っても したくない悪を行っていると書いています

落語はこれを笑いに変えたり人情話にしたりして肯定しているのです

しかし

パウロはそれを肯定していません

悩んだのです

業だから仕方ない、罪を犯すのは仕方ないとは思わなかったのです

そして

罪の下にある者を解放してくださる方を肯定したのです

何を肯定するのかはとても大切な選択です

さて

談志の言葉の続きの締めは

「嫌なことがあったら、たまには落語を聞きに来いや。あんまり

聴きすぎると無気力な大人になっちまうからそれも気をつけな」です

ということは

父は聴きすぎたのでしょうか((* ´艸`))ムププ 



年頭の礼拝後に牧師夫人から

教会になかなか行けない父母には

私がみことばを分かちあうようにとアドバイスがありました

う~ん

2時間のメッセージを短縮するのは聖霊によらなければできませんな



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