先日 教会生活を長く共にしてきたYさんが召天されました
病む身体で手術の直前まで教会に通われました
そして
認知症でもありながら
口から出る言葉はイエスのことだけで
その信仰姿勢には見倣うものがありました
神の栄光のために生きようと決断し
また実際にそのように生きなければならない
この真理について瞑想し 祈りにおいてしばしば神と
このことについて語り 人々のあいだを歩みながらいつもこれを
思い起こすとき、この真理のもつすばらしい意味を感じ始めるようになる
以前の苦しい板鋏みは生活の安らかな統一の前に消えていく」
✝
全生活を聖礼典に変えるなら自己において何の矛盾もないはずです
すべての行為は神の栄光のためにしているのか
矛盾がないように絶えず祈る必要があるのですね
ああ たとえ認知症になっても
Yさんのように神の栄光を語ることができますように・・・

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