ダビデの礼拝

ただの葉の落ちたカラマツの木ですが

夫が発見

スズメバチの巣だ!
12月になろうとしている今
すでに放棄されているのでしょうね

おとといの日曜日の夕礼拝は

連続講解説教のⅡサムエル6章

礼拝への姿勢が問われました

死にそうな使いものにならない牛をいけにえにしたのではなく

肥えた牛を六歩進むたびにささげました

恥ずかしそうに踊るのではなく力の限り踊りました

歓声をあげ 角笛を鳴らして



礼拝が終わるころに涙うるうる

ある姉妹も「泣いちゃった」と言っていました

兄弟姉妹ひとりひとりは礼拝に出るために

多かれ少なかれ何らかの犠牲を払って集っているはずですが

ダビデの肥えた牛と労力と時間とに比べたら

どうってことないのですね

ダビデの喜びの大きさに比例しているのでしょうか

だとしたら

私の喜びは・・・


そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、
あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、
神に受け入れられる、聖い、生きた供えものとしてささげなさい。
それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
ローマ12:1

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